☆ 古代日本を作った人々 ☆ |
〇 日本人のルーツ 日本古代史 2022.12-2014.4 Yuji.W ★ |
〓 古代日本を作った人々 〓 〇 古代日本が多くの外国からの移民によって作られたというのは、21世紀の常識となった。それぞれの移民はどこから来たのか、どのように古代日本を作ったのか、まとめてみた。 <参考図書> |
〓 日本人のルーツ 〓 [1]20000年前 東南アジアから O型 南方系モンゴロイド(古モンゴロイド) [2]14000年前 バイカル湖から サハリン経由 B型 ブリヤート人 身長が高い。細石刃。北海道へ。 [3]6000年前 中国華南地方から A型 照葉樹林帯文化 [4]5000年前 華北・朝鮮半島から 渡来系弥生人 [5]2500年前 江南から 水稲耕作技術 [6]その後も、朝鮮、中国、西アジアからも移住があった。 Y染色体を調べると、父親のルーツがわかる。日本人の父親は、朝鮮人や中国人と似ているのだが、それよりも、モンゴル人と似ている。しかも、長い間、その特徴を維持している。 ミトコンドリアを調べると、母親のルーツがわかる。日本人の母親は、朝鮮人や中国北東部の人とよく似ている。 |
〓 日本古代史の大きな流れ 〓 〇 日本古代史は、百済系移民vs非百済系移民(新羅を中心に)の争いだ。最後に、百済系移民が勝ち、その後の日本を支配した。 [1]元日本(南九州、出雲、奈良、越、尾張、吉備)…非百済系 [2]ヤマト(北九州から奈良へ)…百済系 [3]507年継体天皇、蘇我氏、秦氏、聖徳太子…非百済系 [4]645年乙巳の変(大化の改新)、38天智天皇(626-671)[668-671]…百済系 [5]672年壬申の乱、40天武天皇(?-686)[673-686]…非百済系 [6]690年持統天皇、藤原氏、以降の天皇…百済系 ♡ 百済系は、非百済系を排除しようとしていたが、非百済系は百済系と共に国を作っていこうとしていた(自分達だけでは日本を支配できない、ただ、自分達の生きる権利は欲しい)という感じがする。 |
〓 百済 〓 〇 ツングース系扶余族。346年-660年。 7世紀、[百済&高句麗]vs[新羅&唐]。 660年、百済滅亡。「百済系にとって、新羅系憎し」になる。 663年、白村江の戦い。倭&百済残留兵が唐に負ける。百済の故地は新羅の支配下に入った。 |
〓 百済系 〓 〇 卑弥呼 江南の巫術者・許氏 〇 1神武天皇-10崇神天皇 〇 38天智天皇(626-671)[668-671] 660年百済滅亡。 百済王余豊璋(よほうしょう) 〇 41持統天皇[690-697](天武の妻・天智の娘) |
〓 藤原氏 〓 〇 藤原鎌足(614-669) 〇 藤原不比等(659-720)(藤原鎌足の次男) 「天智の子(興福寺縁起)」。 |
〓 秦 しん 〓 〇 秦(しん) 紀元前778年 - 紀元前206年。紀元前221年に中国を統一。 〇 西戎(せいじゅう) 〇 テュルク諸語/突厥諸語(とっけつしょご) |
〓 秦氏 はたし 〓 〇 「応神天皇14年(283年)に弓月君(ゆづきのきみ:新撰姓氏録では融通王)が百済から百二十県の人を率いて帰化し秦氏の基となった(書紀)。」 加羅(伽耶)または新羅から来た? 「景教(キリスト教のネストリウス派)徒のユダヤ人。(佐伯好郎1908年)」 山背国葛野郡太秦(うづまさ)を本拠地とした。その後、神奈川県秦野などへも進出した。 テュルクの技術(製鉄、武器製造)と新羅の技術(土木、建築、養蚕など)をヤマトに持ち込んだ。松尾大社、伏見稲荷大社などの社家となった。 〇 秦河勝 |
〓 ネトリウス派、景教 〓 〇 古代キリスト教の教派の1つ。コンスタンティノポリス総主教ネストリオスにより説かれた。431年、エフェソス公会議において異端として排斥された。唐代の中国においては景教と呼ばれる。のちアッシリア東方教会が継承した。 キリストは神性と人性において2つ位格であり、マリアはあくまで人間的位格(人格)を生んだに過ぎないとした。 中国へは、唐の太宗の時代にペルシア人司祭「阿羅本」(アラボン、オロボン、アロペン等複数の説がある)らによって伝えられ、景教と呼ばれた。景教とは中国語で光の信仰という意味である。景教教会を唐の時代、大秦寺(だいしんじ)という名称で建造された。 浄土真宗本願寺派の本山である西本願寺には、景教の聖書の一部の漢訳である『世尊布施論』が所蔵されている。 |
〓 月氏 がちし げつし 〓 〇 紀元前3世紀から1世紀ごろ、東アジア、中央アジアの遊牧民族。紀元前2世紀に匈奴に敗れてからは中央アジアに移動し、大月氏と呼ばれるようになる。 |
〓 新羅 〓 〇 356年-935年朝鮮半島南東部の国。 〇 脱解:57年、62才で新羅第4代王。 〇 3世紀ごろ、半島南東部には辰韓十二国があり、その中に斯蘆国があった。新羅は、この斯蘆国が発展して基盤となって、周辺の小国を併せて発展していった。 〇 武烈王(金春秋) 654年、即位。 天武天皇の即位673年から780年までは、日本との関係は比較的良好であり、双方の間で遣新羅使、遣日本使が30回以上送られている。 〇 2001/04/19 平群町椿井の三ツ池遺跡の区画溝(七世紀末―八世紀初め)から、朝鮮半島の新羅製の緑釉(りょくゆう)陶器(七世紀初め-七世紀中ごろ)の破片が出土。貴重な輸入品である緑釉陶器は、これまで飛鳥寺や飛鳥池遺跡などの公的な限られた遺跡から出土している。外側全体に明るい緑色の釉薬がかけられている。破片の上段には水滴形、下段に半円のスタンプを押したような「印花文(いんかもん)」が施され、七世紀初めから中ごろのものと判明。高安山の山頂から東へ約4km。 |
〓 蘇我氏 そがし 〓 〇 蘇我氏は百済出身という説もあるが、そうでもない。ここでは、非百済説をとる。 |
〓 ゾロアスター教 〓 〇 始祖ザラスシュトラ(紀元前1000年前後)。ドイツ語読み「ツァラトゥストラ」 ユダヤ教を母体としたキリスト教もこれらを継承していると言われる。さらに、大乗仏教において弥勒信仰と結びついたり、またマニ教もゾロアスター教の思想を吸収した。イスラム教もまた、ユダヤ教やキリスト教、マニ教と並んでゾロアスター教の影響も受けており、聖クルアーンにもゾロアスター教徒の名が登場する。 ゾロアスター教は唐時代に中国へ来ており、また日本には吐火羅や舎衛などのペルシア人が来朝していることから、なんらかの形で日本にも来ていたらしい。 「飛鳥時代の日本にゾロアスター教が伝わっていた。斉明天皇はその信者であり、マギの秘術を使ったために『日本書紀』で神秘的な存在として描かれた。飛鳥の酒船石は神酒(ハオマ)を製造する為のものであった。(松本清張1970年代)」 |
〓 非百済系 〓 〇 15応神天皇 五胡十六国の中の秦の一族・苻洛 〇 16仁徳天皇 高句麗の英主・広開土王(好太王) 〇 26継体天皇[507-531] 越前出身、大和に入るまで20年かかった。以後7世紀半ばの第37代天皇まで、約150年間は継体天皇の子孫が天皇。それをうち破ったのがの天智天皇だ。 〇 聖徳太子 中央アジアの遊牧民・西突厥の達頭可汗。 〇 40天武天皇(?-686)[673-686] 天武の「武」は、殷(いん)の紂王を滅ぼした周の武王の「武」からきている。父は高向玄理。母は斉明天皇。都を蘇我氏の本拠地の飛鳥に置いた。 〇 役行者(えんのぎょうじゃ) 円小角(えんのおづぬ) 葛城山で修行し、修験道(しゅげんどう)を開く。壬申の乱の直前、後の天武天皇を助けた。持統天皇の時に、伊豆へ流された。行基(ぎょうき)や道鏡(どうきょう)も葛城山で修行した。 |
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