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◎ 写楽が作品を残したのは、1794年(寛政6年)〜95年(7年)、18世紀末、江戸時代の後期、明治維新へのかすかな胎動が始まったかなという時期だ。 <参考> 東京国立博物館、特別展「写楽」 「写楽を追え」内田千鶴子 イーストプレス 2007年初版 「浮世絵ギャラリー 写楽の意気」浅野秀剛 小学館 2006年初版 |
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■ 寛政の改革(かんせいのかいかく) 1787年〜1793年 松平定信 8代将軍徳川吉宗の孫。白河藩主から幕府老中となり、11代将軍徳川家斉のもとで老中首座となった。定信は白河藩主時代に飢饉対策に成功しており、祖父の吉宗の享保の改革を理想とした。緊縮財政、風紀取締りによる幕府財政の安定化を目指した。 岡場所の取り締まり、混浴の禁止、風呂屋や旅籠で働く女性の取り締まり、賭博の禁止 |
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■ 江戸日本橋の版元。浮世絵、黄表紙、洒落本、1772-8 「吉原細見」、浄瑠璃の本。 狂歌:大田南畝おおたなんく、山東京伝、歌麿 寛政の改革を批判する出版物を刊行。 1784年
歌麿 美人町娘大首絵3枚摺(水茶屋の娘、煎餅屋の娘、芸者) 1787年 寛政の改革 1790年 出版取締令 1791年 逮捕され、身代半減の処罰 1793年 寛政の改革終わる。 1793年 風俗取締令がきびしくなる。 1794年 写楽 |
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■ 幕府公認の芝居小屋は、江戸では3軒だけ。中村座、市村座、森田座。 18世紀後半、噴火、飢饉、インフレ、打ち壊しなど、世情が不安定。 1787年 寛政の改革(-93年)で風俗取り締まりが厳しくなる。 中村座 1792年休場。1793年興行権が桐座へ。 市村座 1784年倒産。1793年興行権が桐長座へ。 森田座 1788年倒産。1790年興行権が河原崎座へ。 1794年 三座そろって、正月興行「曽我狂言」 芝の版元・泉屋市兵衛、26才歌川豊国を抜擢し、「役者舞台之姿絵」を出版。 |
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